多彩なスタッフが集まる林業イノベーター<東京チェンソーズ>

STORY

「都会の生活に、木の暮らし。」をテーマにスタートしたwebサイト<木ッカケ>。これまで3回にわたり、東京の森林環境やそこに関わる人たちのSTORYをお届けしてきました。
第4弾となる今回は、ご存じの方もいらっしゃるかも知れません。林業という仕事をコンテンツ化することで、ちょっと遠かった森や木材の存在をグッと近づけている<東京チェンソーズ>さんに会いに檜原村へ行ってきました。

目次

転職先の選択肢に林業
二つの林業
業界の若返りはしてます
檜原村トイビレッジ構想
チェンソーズ総力戦
Profile

転職先の選択肢に林業

深い森と植林されたばかりの若い木々が並ぶ檜原村

今回、お話を伺ったのは、創業メンバーのお二人、代表の青木亮輔さんとコミュニケーション事業部の木田正人さんです。

東京チェンソーズさんは創立して何年になりますか?

青木2006年7月1日創業なので、16年目に突入してます。

―お仕事のフィールドである檜原村ですが、ビックリの森林率93%!村の大部分が森林に覆われており、まさに“東京都の森”だと改めて認識しました。そんな檜原村に、お二人が来たきっかけを聞かせてください。

木田:林業への転職がきっかけです。神奈川県川崎に住んでいた頃、山の手入れが行き届かなくなることが、災害の原因にもなるとニュースで聞いて知ってはいました。ただ、そのころは、それが自分の生活とは結び付いてはいませんでした。
でもその後、ドライブすると気持ち良い田舎の長閑な景色の村も、実は過疎で林業をやる人が少くて、一歩山に入ると危ない状況になっているということに気付きまして。それで林業に関わる様々な本を読み始め、そこで林業に転職したという人のことも知り、転職先の選択肢に林業が加わったんです。あとは単純に、外でご飯食べたりしたら楽しそうだな〜みたいなのもあって(笑)。

―転職を考えてから「林業」に到達するまで悩みましたか?
木田:一年は掛からなかったかも。あんまり場所にこだわってなかったので、山形、島根、長野あたりから求人資料を取り寄せたりしていたんですが、東京の森林組合に問い合わせしてみたら、緊急雇用対策という半年間の期間限定の仕事があると聞いて。
当時、東京は檜原、奥多摩、青梅、あきる野、日の出、八王子(※)の6つの事務所に分かれていたので、いくつか訪れてみたんですね。その中で、あきる野と檜原がとても気に入って、家族の仕事の関係もあり、あきる野で面接を受けて採用されました。あきる野で2年ぐらい経った頃、檜原村で若い人が集まって、いろいろやるらしいぞ!というような話があって、檜原村に移動となりました。

青木:このとき檜原にいたのが、僕とか当時の創業メンバーです。

―青木さんも緊急雇用対策の募集で檜原村に?

青木:はい。檜原で働いていたところに、木田さんが加わってくれた感じです。

木田:檜原には20〜30代の若手が4人か5人ぐらいいて活気ある感じでした。あきる野は、僕が30代で、その上は50代でした。

―森林組合を退職して、独立、創業を決意するキッカケは何だったんですか?

青木森林組合で働く中で、もう少し待遇を改善したいという思いがありました。現場で働く人は日給月給で、事務職員は月給制なので社会保険もあるんですね。
経験は浅いながらも若手が増えている一方で、現場の中心はシルバー世代ということもあり、年金をもらいながら働いている方が多くて、働くテンションの違いがありました。やる気があってだんだん経験を積んできた若い人たちが、もっと長く働ける環境整備を交渉はしたんですが、なかなか難しくて。
もともとは檜原村森林組合っていう、この檜原村だけの森林組合だったんですけど、ちょうど平成14年頃、東京都の6市町村(※)の森林組合が合併して東京都森林組合になったんです。そうなると檜原村だけが月給制にするのは難しくなって、だったら独立した方が早いとなって独立しました。

二つの林業

―一次産業(「農業」「漁業」「林業」)にも若手が入って、少しずつ活性しているでしょうが、それでもまだまだ新しい事業に切り込むって、かなりハードルが高かったことと想像します。その辺のお話を聞く前に、「林業」の仕事について教えてもらえますか?

青木大きく分けると2つあって、ひとつが公共事業を主とした林業ですね。
例えば東京で言うと、山の管理ができなくなってしまった個人の山主さんと東京都とが、25年間の管理契約をします。東京都は(税金を使って)その25年間に、2回の間伐と1回の枝打ちの整備を行います。
また、元は花粉対策事業と言ったんですが、手入れ不足の山を東京都が買い取り伐採して、花粉の少ないスギやヒノキを植えていく事業があります。伐採して切り出した後、植林、下刈りなど育てていく作業が発生しますので、その仕事の受託が大半だと思います。
もうひとつは、うちも一部そうですが、中島林業さん(STORY3参照)のところのように、自社で山を持ち、その山の木を補助金を使い伐り出して販売をしていく、いわゆる昔ながらの林業です。

―自社で山を持つというのは、山を買うんですよね?

青木そうですね。山主さんと直接お話をして、山を買います。
うちが購入したきっかけは、<東京美林倶楽部>を始めるにあたり、払沢の滝(チェンソーズの近くにある滝)駐車場の近くの山が最適だと思って、山主さんに交渉したんです。貸してほしいと相談したところ、山主さんからは買わないかとおっしゃってくれて(笑)。

東京美林倶楽部の参加者と苗を植える

―その場所が良さそうと判断するポイントはあるんですか?

青木もともと創業当初からツリークライミングだったり、林業体験とか、いろんなイベントをやってきています。それこそ年間延べ1,000人以上のイベントを開催していますが、山の中でやるにあたり、3つ大事な要素があるなっていうことに気づいたんです。
1つはトイレの問題。どんなに良いイベントでも、トイレがないと安心して参加しづらいですし、われわれとしても、毎回、簡易トイレを準備するのも大変ですしね。
2つ目は、アクセス。公共交通で来られる、駐車場があること。また、イベント会場まで片道2時間歩きます、だと参加者が激減します(笑)。
3つ目が、炊事や食事ができる拠点となる場所の確保。その3つを満たしていたのが、その山(払沢の滝駐車場の前)だったんです。あそこは檜原村で一番バスの便が良いところなんです。

―4名のメンバーからチェンソーズが始まり、事業の走り出しはどんな感じだったんですか?

青木最初はやはり100%森林組合の下請けでした。下請けの仕事のままでは、どんなに頑張っても限界があります。今のままでは厳しいので、もっと待遇を良くしていかなくてはと思い、元請の資格を取りました。元請にチャレンジして、公共事業の仕事を多くやるようになり順調ではあったんですけど、それでも上限もあるし、そもそももっと顔の見える林業にチャレンジしたい思いがあったので、<東京美林倶楽部>を始めました。

―<東京美林倶楽部>は創業から何年目で辿り着いたんですか?

青木2014年に募集をスタートしたので、創立から8年ですかね。
補助金がなくても成り立つ林業とはなんだろう?という課題設定からスタートしました。
伐採をして木材を売った後、また木を植えて、7年間下草刈りして、5年ごとに枝打ちして、間伐してという一連の保育期間があります。その収益の上がらない保育期間の経費を、補助金に頼らないでできる仕組みを設定して算出しました。
その当時、一立米(木材)の売値はだいたいが1万円ぐらいでした。その売り上げでは、補助金がないと無理。でも5万円あれば補助金なしで、保育費を出だせるかもと、自分たちなりに試算を立てたんです。入会金5万円、年会費1000円、30年で合計8万円いただき、3本の苗木を植えて、一緒に育てていきましょうという<東京美林倶楽部>の制度をつくりました。
ただ、当時、保険代100円ぐらい払って植林や間伐をする体験がほとんどだったので、8万円も払って自分の木を育てるっていうのは、業界ではちょっとありえない話だったんです。ただ結果としては、入会100口の応募は全部埋まって、顔の見える林業、関係性に賛同を得られました。

―事業にストーリーがあって、それに沿ってハードル(金額)を上げたことで、参加するお客さん側の意識や意思の質が上がったんでしょうね。林業の仕事は、一般の人には仕事内容やそれに伴う賃金の対価って判り得ないから、それを見える化したのが<東京美林倶楽部>なんだろうと。

木田:われわれの仕事は、本当に値段が付けづらいです。一つ一つの作業を試算してみたことが、具体的に動き出すきっかけになったのかなと思います。

青木入会されたみなさんは、30年かけて一緒に育てるというストーリーに共感し、そこに価値を見いだしてくれたんだと思います。でも業界的には、どうしても苗木代とかそこにかかる経費みたいなところに目が行くんですね。目指してる方向性(顔の見える林業)が違う、それが<東京美林倶楽部>なんです。
25年目と30年目に間伐した木を受け取ることが出来るんですが、親子連れや小さいお子さんがいる加入者さんも多いので、自分にではなく、次世代に残したいという方も多いです。

グラップルで切り出した丸太を積み込む
木田:初年度応募(2014年)された方の最初の間伐まであと15年以上ありますからね。わたしたちが生きてるかも怪しいですよね(笑)。

―自然のスケール感で林業を捉える、面白がる人たちがいるっていいですね。

青木<東京美林倶楽部>を6年間続けて、現在、300組が入会されています。あまり顔を出さない方もいますが、続けている限り、毎年、檜原に遊びに来ることを楽しんでくれているんだと思います。

業界の若返りはしてます

―チェンソーズさんが始めたように、違う切り口で林業界に入ってくる方って増えてますか?

青木確実に増えていると思います。うちからも何人か独立しました。
うちみたいに小規模で始めているところは全国的にもありますし、地域おこし協力隊制度が始まってから、自伐型林家、林業が全国で増えましたね。われわれがこの世界に入ったときよりも、間違いなく業界の若返りはしてますし、良い流れが来てる感はあります。
平成15年から始まった「緑の雇用対策事業」で、新規就労の支援を始めたんですよね。全国の森林組合とか林業会社が、それを活用し人材の募集とか育成をするようになっていると思います。離職率はまだ高いので、定着率は低いですが、代替わりは少しずつ進んできてます。

―人材の話でいくと、チェンソーズさんは離職率低そうな印象。多様なフィールドの人材を巻き込んで、林業そのものの視野を広げて、知ってもらおう、楽しんでもらおうという仕掛けがすごい。
―事業化のテーマとかいうか、方向性って何かあるんですか?

青木そうですね。補助金のみに頼らない林業ということで<東京美林倶楽部>を始めて、それをきっかけに山から木を切り出すようになったんですけど、やはり木の売価が安くて、ただ木を売るだけじゃどうにもならない。いかに木に付加価値をつけるかを考え、次に始めたのが<森デリバリー>です。
木の小屋を乗せた軽トラックに、ワークショップの材料や木で作ったものなどを積んで、いろいろ場所へ出かけて行って、売ってみようと始めました。
現在、うちで工房長やってるメンバーがいるんですけど、専門学校生でインターンで来た時、最初は山の仕事をちょっと体験してもらってたんです。学校卒業後に入った造園会社を退職後、元々の物づくり好きを活かして、一緒に森デリバリーをやらないかと誘ったんです。

森デリバリー車<森デリバリー>には3つ狙いがあって、ひとつは、物販ですね。ただ、なにせこれまで林業しかやってないので、物をつくることはできても、販路なんか持っていませんでした。だから、イベント会場などへ直接出かけていって、そこで売ってみることから始めました。幸いにも、それまでにもいくつかイベントに呼ばれて出店したり、情報発信もやってたので、そうした繋がりからイベント会場に呼ばれることが増えてきました。当時は週末になると作業車のバンから仕事の道具を出して、荷物を積み替えて行ってたんので、なんか汚らしいというか、ちょっと残念な感じがあったんですよ(笑)。それで、専用の車を用意したいという話になって、東京都の助成金を使って、今の<森デリバリー>カーを開発したんです。
2つ目は、直接お客さんとのやりとりができるので、木や木製品などのマーケティング調査ですね。
そして3つ目は、対面的な情報発信。SNSとはちょっと違う、リアルな情報発信です。
今では専属のスタッフがついて、ほぼ週末はどこかしらへ出かけています。

イベント会場へ<森デリバリー> キーチェーンやキャンドルホルダーの販売

―人材の確保と雇用力がすごいなぁ〜

青木公共的な仕事の受託が伸びている時期に、人材育成に取り組みました。最初に採用した3人が後から入ってくる人材を育成してくれるようになって、僕らに少し時間が取れるようになって、<東京美林倶楽部>を始められました。さらに森デリバリーを始めて、だんだん物づくりの質とか量が求められるようになって、次は工房が必要だと考えはじめたんです。その一方でうち一社が頑張ってやるだけでは限界もあるし、もっと物づくりを通じて檜原村を巻き込んでいく必要があると思いました。
もともと檜原村では森林資源を活かそうという動きが活発でした。
そこで、四谷にある東京おもちゃ美術館が、姉妹美術館をどんどん増やそうとする時期にも重なったので、東京で最初の姉妹おもちゃ美術館を檜原村に誘致しないかと村に提案したんです。木のおもちゃを求めて遊びに来る人の流れをつくり、檜原村でつくった木のおもちゃをきちっと販売をできたらいいよね、と。そこから少しずつ準備を進めていきました。毎年夏の檜原村のお祭りにおもちゃキャラバンが来て、日本全国の木のおもちゃを集めて、そこで遊べるようなイベントをやったり、東京おもちゃ美術館の関係者の人と、おもちゃで有名なドイツのザイフェン村へ視察に行ったり。

"きこりのトライ&ローリー"であそぶ
2018年に檜原村木育・木材産業推進基本構想(檜原トイビレッジ構想)が制定され、村の構想として正式に立ち上がり、2019年に<おもちゃ工房>ができて、そこをうちが借りて本格的な物づくりを始めました。2年後の2021年に「檜原 森おもちゃ美術館」ができて、地元のNPO法人が立ち上がり運営しているっていう感じですね。

檜原村トイビレッジ構想の心臓部 "おもちゃ工房"

檜原村トイビレッジ構想

―村長さんの檜原村ブランディングと林業がリンクしたんですね。

青木そうですね。現村長が村長になったのは、うちの創業の1年前なんです。
当時、檜原村では鉄筋コンクリートの図書館の新設が予定されていたんです。まさに業者が決まろうというときに、それを差し止めて、木造に切り替えさせたのが当村長なんです。そこから始まって、小中学校の内装木質化、村営住宅で使う木材も檜原村の木でなど、とにかく村の木を活かしていくんだという思いがとても強い方です。そういった流れもあって、トイビレッジ構想という波に乗れたと思います。
<おもちゃ工房>と並行して進めていたのが、とにかく一本使い切るという<1本まるごと販売>。
うちが社有林を中心に周りの山も一緒に団地化をして、山の管理をさせてもらい、そこの木を切り出しているんですね。そこでFSC認証®っていう森林認証取ってるんですが、年間そこから100立米の木材しか出せない制限(持続可能な森林経営)があるんです。
100立米の木を市場に持っていくと、杉だと100万にしかならないんで当然、会社経営できません。
そこで、年間100立米の木材から出る、根っこであったり枝、葉、形の悪い部分など、ひと手間加工しないと販売できないような部分も全て活かすことができたら、どれくらい売り上げを伸ばせるのか挑戦しようと始めたのが、この<1本まるごと販売>です。
設計士さんやデザイナーさんなどに少しずつ使ってもらえるようになって、<1本まるごと販売>だけじゃありませんが、今期、販売事業部で7000万円ほどの売り上げを見込んでいます。やっと付加価値をつけることができるようになってきています。
市場にない素材に価格を付け、安定的に供給(売る)しているところに、大きな効果が出てきていると思います。とはいえ最初は売れず、枝・葉など大量に残ったこともありました。それでも社員みんなで事業化を目指して動いているうちに、売り先が段々見えてきました。

―製材、加工などはチェンソーズさんで?

青木ものによってケースバイケースですが、ある程度の加工をすることが多いです。
オフィスとか商業施設の装飾をやってるような設計事務所さんとの取引が多いのですが、まず打ち合わせをして、素材をいろいろと見てもらって、こんな風に使えそうなど使い手の皆さんからのイマジネーションをお手伝いしながら、加工して納品する形です。
特に根っこは業界の中で困りものなんです。作業道を延ばすために伐採した木の切り株は抜くんですが、石を噛んでいたり加工するのが大変なので、大半は作業道に寝かせてることが多いんです。うちではだいたいの切り株を山から下ろしてきて、皮剥いて水圧できれいにします。
今、檜原 森のおもちゃ美術館の中でも、そういった1本まるごとのいろいろな素材をディスプレイに使って、子供たちがそこで遊んでいたり、ショールーム的にお客さまに見ていただいたりしています。

檜原森のおもちゃ美術館ミュージアムショップ「CruChoiくるちょい」

―事業が全体的に循環していますよね。

青木常にある課題をクリアして、クリアしたら次の違う課題にチャレンジして、それをまたクリアしていくっていう、ある意味、行き当たりばったりで今まできてるんですよ(笑)。そういう意味では、まだまだ会社として改善するところはやっぱりあります。

―そういえば、青木さんは大学で探検部でしたよね(笑)

行き当たりばったりとはいえ課題感に立ち向かうって、探究心に近いのでは?
青木さん:確かに探検部にいました(笑)。まぁ割と似てるかも知れませんね。誰も行ったことのないところに、計画を立てて向かい、達成してそれを報告するみたいなのが探検だと思うんですが、林業の中にも誰も手をつけないフロンティアがありますからね。

―木田さんは、そんな青木さんをどう見られてるんですか?(笑)

木田:いや、でも確かにそうだと思いますよね(笑)。

―林業って流儀、型のある世界じゃないですか。

木田:うちの会社は全体に若いせいか、流儀や型に固執する人がいません。なので割と自由な発想の中で仕事ができています。その中で大きく外れないことであれば、考え方は自由だと思うので、誰も手を付けていないことにチャレンジすることは、すごく良いことだと思っています。ちゃんと計画していけば、それなりにできるだろう、やってみよう!となる点では、探検部的なのかもしれないですね(笑)。

チェンソーズ総力戦

―会社のスタッフ紹介のページを見ても、こんなに人材が充実してる会社ってそうはないんじゃないかなってほど、皆さんのバッグボーンが面白くて。

青木うちの強みは、いろんなスキル、経験がある人間が集まっていること。<東京美林倶楽部>にしても、いろんな規約を作ったり膨大な準備作業がありました。そこに長けている人がいたから実現できたことだと思います。
森デリバリーもそうです。デザインや広報など、それぞれメンバーの強みを生かして、総力戦でやってきたことで、事業化まで何とか持っていくことができたんです。
うちは大企業を目指すのではなく、顔が見える関係性をずっと大切にやってきて、<東京美林倶楽部>や<森デリバリー>なども皆さんに周知もされるようになってきて、そういう顔の見える輪をどんどん広げていければいいのかな、という感じです。

―檜原村にある会社さんとも、どんどん広がってっていう感じなんですか?

青木檜原村では、企(起)業誘致地制度という取り組みしていて、フロンティアジャパンという木のノベルティを作ってる会社が工場を設置したり、ウッドボックスというアロマ製品を作ってる会社があったり、だんだん増えてきています。

―村としての構想が功を奏していますね。

青木檜原村のトイビレッジ構想の一番いいところって、ターゲットが親子なんですね。若いうちに檜原村に来てもらって、檜原村の良さに気づいてもらえれば、その後の長い人生の中で、お子さんだった人が親になって、いつか自分のお子さんは連れてきてくれる。その頃には檜原村に物づくりをやってる人がどんどん増えていて、檜原村に行けば子どものもの、木のものが揃うような村になっていれば、活気のある村として、これからの10年20年先が楽しみになります。

―今後はどんな事業を仕掛けていく予定ですか?

青木今、新しく取り組み始めたのが、MOKKI NO MORI(モッキノモリ)。<東京美林倶楽部>もそうなんですけど、社有林(会社で管理してる山)を一般の人に開放することで、収入を得ようというようなことも始めています。森林空間の利活用にもう少し力を入れていきたいと思っています。
戦後植えられた木が60〜70年育ってきて、空間としても成熟しつつあります。あと約30年経てば、日本全国に、もちろん東京にも「樹齢100年の森」が次々と誕生することになります。今からそれに向けて、もっと都心の人たちが山に入れる、来やすい仕組みを準備しておかないともったいないと思うんです。

―どの角度から切り込んでも、何か到達点(付加価値)をきっちりと付けていく。今日、お話をお聞きして、そのテーマ設定がチェンソーズさんの鍵だと感じました。

青木林業会社としては小さいですが、現場から始まった会社がきちっと物づくりまでやって、“林業の仕事”や“木”にしっかり付加価値をつけて、小さくても強い林業というのを実現していこうと思います。そして雇用をしっかり維持して、地域を盛り上げていくきっかけができれば、これから林業をやろう、林業で起業しようという人にとって、参考になるような会社があるって大きいと思うんです。私たちの会社がそうなれたら、存在意義も出てくるのかもしれないですね。

株式会社 東京チェンソーズ
代表取締役 青木亮輔
本社:〒190-0214 東京都西多摩郡檜原村654番地
事業内容

  • 造林・育林・木材伐出等、森林の整備及び管理
  • 根株、枝葉、板、丸太等の1本まるごと素材販売
  • 現場直送の木材を使用した木のおもちゃ、什器、日用品等の企画・製造・販売
  • 森林空間を活用した体験サービス提供

オンラインストア:TOKYO CHAINSAWS ONLINE STORE

Profile

青木亮輔
東京農業大学農学部林学科卒。大学時代は探検部に所属し、モンゴルでの洞窟調査やチベットでのメコン川源流航下など、複数の海外遠征に参加。
林業の世界へ入ったのは2001年。緑豊かな自然を後世に残すためには、まずは林業だと考えた。土を踏む感触にも憧れた。
2006年、東京チェンソーズを創業。育林・造林をベースに、木に付加価値を付け、1本まるごと使い切る木材販売を展開。今後は森林空間の活用にも力を入れる。
檜原村木材産業協同組合代表理事、檜原村林業研究グループ「やまびこ会」委員、(一社)TOKYOWOOD普及協会専務理事、NPO法人東京さとやま木工會理事。
1976年大阪市此花区生まれ。

木田正人
1966年青森県弘前市生まれ。本や雑誌の執筆、編集、販売に関わる仕事から2002年、林業に転職。東京チェンソーズ創業メンバー。
林業は、誰かとの間に自然というすごく大きなものを置き、そのすごく大きなものを介して、誰かの「LIFE」の役に立つ仕事。時間軸が長いので、目の前の結果ばかりを追いすぎないところもいい。
面白いことを面白いと思う気持ちを忘れたくないので、座右の銘は「どんなときもユーモアを忘れない」。
高所恐怖症だったことに、林業を始めてから改めて気づく。